1951年からソリッドタイプのエレクトリックギター”テレキャスター”を発売して楽器業界に革命をもたらし、1954年には世界中のミュージシャンが愛するギター”ストラトキャスター”を発売して世界にエレクトリックギターのスタンダードを築き上げた『フェンダー』。60年以上にもわたる長い歴史の中で様々なギター、ベース、アンプが発売され、様々な仕様変更、改良がくわえられるなどしてたくさんの『フェンダー・ヒストリー』が刻まれてきた。
そして2012年に日本の一人のミュージシャン・ギタリストが新たな『フェンダー・ヒストリー』を刻むことになるギターを、現在のフェンダー最上級の製作部門『カスタムショップ』よりシグネイチャー・モデルとして発売することが決まった。
30年もの長い時を超えて復活するUS製“MUSTANG”
テレキャスターやストラトキャスターを発売してギターメーカーとして注目されるようになってきた頃、とある楽器店からこんな要望がフェンダーに届いた。
『これからエレキギターを始める人のためのギターを作ってもらえないだろうか?』
そしてフェンダーは1956年よりミュージック・マスターを発売、2カ月後にはデュオ・ソニックを続けて発表。テレキャスターやストラトキャスターよりも短いスケールで作られたこれらのモデルは“スチューデント・モデル”というカテゴリで多くのミュージシャンを生み出してきた。そして1964年8月、 先述のスチューデント・モデルをより実践的に改良したモデルとして『マスタング』を発表。マスタングにはダイナミック・ヴィブラートと名付けられたスチューデント・モデルには搭載されていなかったヴィブラート・ユニットが装備され、ストラトキャスター、ジャズマスターやジャガーのようなダイナミックなアーム奏法が可能となった。
1964年の発売以来、長い間にわたって多くのミュージシャンに愛されてきた『マスタング』はフェンダーの他モデル同様、ジャガー(1974年)、ジャズマスター(1980年)の後を追う形で1982年におしまれつつも生産完了となった。しかし日本においては生産完了後も再生産を求める声が多く、まもなく国内工場でリイシュー・モデル『フェンダー・ジャパン』としての生産を開始、現在に至るまでになっている。
それもある日本の一人のミュージシャンの登場によるものであることは言うまでもない。
Charというミュージシャンの登場
1970年代ジミ・ヘンドリックスの登場でストラトキャスターの売り上げが急激に伸びてきたフェンダーではマスタングは徐々に生産本数を減少させていた、しかし、1976年に日本でCharがホワイトの『マスタング』をもって登場したことをきっかけに日本で空前のマスタング・ブームが到来する。
その当時、マスタングの生産本数が少なくなっていたこともあり、急遽大量のオーダーが入ったフェンダー社は生産本数が追い付かずそのすべてを送り出すまでに2年をかけて出荷することとなるが、82年になるとUS製マスタングの発売は終了してしまう。しかし、日本では復活を望む声が多く1986年よりフェンダー・ジャパン製マスタングとして復活する。
それから数年してほどなく27歳という若さでその命を絶ってしまう、若き左利きのミュージシャン、カート・コベインがマスタングを使用してまた世界中で脚光を浴びることとなる。カートは他にもジャパン製のマスタングも使用していた。だが、他の生産終了してきた製品の復活はあったが2012年の現在に至るまでUS製のマスタングは復活することは無かった。
2010年フェンダーでのCharシグネイチャー・モデル発売の決定が話題を呼んだが、その裏では、様々なストーリーが隠されていた。当初、フェンダーで製作するギターを『マスタング』にしようときめていたCharは最初の打ち合わせの時にマスタングを作りたいと話すも現在USフェンダーではマスタングは作っていないので難しいとされた。それもそうだ、30年にもわたって生産を行っていないものの”復活”は並大抵のことではない。カートの登場ですら復活を成し遂げることはなかった『マスタング』の復活の道のりは単純なものではなかった。
ストラトキャスター『Charizma(カリズマ)』の製作を行っているその裏側では、FENDER USAと日本の総代理店山野楽器のスタッフによる度重なるミーティングが行われていた。そして日本でCharが使用するマスタングの意味するところ、Charが残した歴史、Char本人によるUSフェンダーへの訪問などにより、フェンダーUS製『マスタング』の復活が実現することとなった。その当時使用していた型も見つかり、30年の時を経てUS製マスタングがカスタムショップよりCharシグネイチャーとして発売される。
(一部参考文献 The Authority of MUSTANG シンコ-ミュージック)